章节列表
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- │ ├ 跋可一云林笔意
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- ├ 颂
- └ 词
『琅嬛文集』王雨谦序
- 本章共 621 字
- 最后修改于 2023-11-05
有大文之人而文始传,文也者,人也。其人为天地之所属,则凡天地之所焕不能郁,与郁而不克告之天下万世者,皆汇而委诸其人。由是而日星之蒸变,河岳之苞孕,勤勤焉提以成之也。然其所际有显晦,且有不即内之于显,而困苦拂乱与以晦晦之遇,而别有以显之,则天下文章莫大乎是矣。如昔左氏《春秋》,龙门《史记》,皆不屑以爵禄荣之,而特荣以三曾之大也。
吾故于陶庵张子之文,而知天地之成之显之者深且宏也。陶庵为雨若先生之孙,而阳和公其曾祖父也。阳和公以文章大魁天下;雨若先生成进士,以理学推醇儒。陶庵尊人大涤公,抱命世才,虽烺烺仕籍,竟不克大展其学,乃举累代清淑之气,尽以钟之陶庵。陶庵自束发为文,发藻儒林,以彼其才,使其立取一名,身都显要,自当复命造物,爽爽不怍。而以才大莫器,有识者咸为裂眦问天,而陶庵怡然听之,遂潜名成《石匮》一书,上与左史等。
鼎甲申以后,屏弃浮云,益肆力于文章,自其策论、辞赋、传记、笺赞之类,旁及题额、柱铭,出其大力,为能登之重渊,而名诸日月,题曰《琅嬛文集》。盖其为文不主一家,而别以成其家,故既能醇乎其醇,亦复出奇尽变,所谓文中之乌获,而后来之斗杓也。余与陶庵以气谊文章为世外交,每一篇出,无不披华食实,如李才江之范金呼岛佛,柳柳州之盥薰读昌黎集也。兹者百家争喙,俾斯集行之于世,则震风凌雨,应知夏屋之为帡幪也。陶庵其先蜀产也,其近则越产也,其人其文,几几各争有之。
余则曰:“此非蜀之有,越之有,而天下之有也,张子天下才也。”
曲辕王雨谦撰