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『老子全译』第35章
- 本章共 892 字
- 最后修改于 2022-07-06
【原文】
执大象,天下往(1)。往而不害,安平泰(2)。乐与饵,过客止(3)。道之出言(4),淡兮其无味(5)。视之不足见;听之不足闻;用之不可既(6)。
【题解】
此章是老子对“道”的歌颂。“道”虽看不见,听不着,说不出,却弥纶六合,化育万物,物阜民康,家给人足,一派雍熙景象。
注释:
(1)马王堆本乙本如此,甲本“天下”二字损掩。河上、王弼及诸唐本同。傅、范“象”下有“者”字。蒋锡昌说:“大象,即指大道而言。盖以道有法象,可为人君之法则,故谓大道为大象也。四十一章‘大象无形’,言大道无形也。‘执大象,天下往’,谓圣人守大道,则天下万民归往也。”成玄英疏:“大象,犹大道之法象也。”
(2)傅、范、开元均如此。马王堆本甲乙本“泰”作“大”,道藏王本同。他本皆作“太”。“太”“大”古隶互通,本字当作“泰”,“泰”“太”一字。安,于是,乃。王引之《经传释词》:“安,犹于是也,乃也,则也。老子曰:‘往而不害,安平太。’言往而不害,乃得平泰也。”
(3)诸本皆如此。马王堆本甲乙本,“客”假作“格”。吕惠卿《道德真经传》,“与”作“于”。
(4)傅、范如此。范应元说:“‘出言’。王弼同古本。”今诸王本俱作“出口”,其注则作“出言”。第二十章王注引此文亦作“出言”。开元同今王本作“道之出口”,景龙、敦煌、龙兴碑作“道出言”,无“之”字。马王堆本甲乙本作“道之出言也,曰”。
(5)傅、范、景福、《道德真经》如此。王弼、开元,“兮”作“乎”。景龙、敦煌、龙兴碑作“淡无味”,省“兮”“其”二字。马王堆本甲乙本作“淡呵其无味也”。
(6)河上,傅、范及诸通行本多如此。景龙、敦煌、龙兴碑及李荣本,省去三“之”字。唐玄宗《疏》,上“足”作“可”,陈象古《解》无二“足”字。王弼本“不可既”作“不足既”。马王堆本甲乙本,三句末均有“也”字。
【今译】
谁要是掌握了“道”,天下人都会归附他。归附他而不互相伤害,天下就太平了。好听的音乐和好吃的食物,过路人都被吸引住了。
“道”从嘴里说出来,人们感到平淡无味。看它,是看不见的;听它,是听不到的;用它,是用不完的。